2011/02/23

フランスの女性~ラシダ・ダチさん


フランスには、素敵な生き方をしている女性がたくさんいます。
ラシダ・ダチさんについて書いた記事をまとめました。

200899日 mainichi.jpによせたコラムから
フランスの閣僚として、初めてのシングルマザーが誕生するかもしれない。移民系の女性で初めて法務大臣という重要ポストに抜擢されたラシダ・ダチ法相。サルコジ政権がアピールする多様性のシンボルともてはやされてきた。閣僚としては若いが、母親としては高齢といわれる
42歳だ。フランス社会は、「異例」とも言われそうな彼女を問題視しない。

夏の休暇が終わるとダティ法相のお腹がふっくらと目立つようになっていた。AFPによると、先週なかば、閣議前にお気に入りのジャーナリスト数人と朝食を共にし、懐妊の事実を認めた。ル・モンドの電子版は、その日の午前10時すぎに情報を流し、「まだ安定期に入っていないので慎重にしたい。子どもを持つことは以前から望んでいた。実現したら嬉しい」という法相のコメントを伝えた。閣議後に姿を見せたダチ法相は、大きくなったお腹を隠そうとする様子もなく堂々としている。

独占インタビューを行った週刊誌ル・ポワンによると、法相はできるだけ長く公務を続けるつもりだと言う。これに対する表立った反対意見はない。フランスでは、社会党の大統領候補だったセゴレーヌ・ロワイヤルさんをはじめとして、これまでに3人の女性閣僚が任期中に出産している。ロワイヤルさんは1992年に環境大臣だった時に4人目の子どもを出産し、すぐに公務に戻っている。

ダチ法相は独身で、決まったパートナーの名前を公表していない点が3人の女性閣僚とは異なる。「私の私生活は複雑」として子どもの父親については堅く口を閉ざしている。法相が懐妊を認めた翌日、国営放送フランス2が、スペインのアスナール前首相が父親説を否定したと伝えていた。アスナール前首相とダティ法相は、去年12月にサルコジ大統領とカーラさんが主催したパーティーで知り合い、親しかったようだ。スペインの前首相のほかにも、フランスの現職閣僚、有名レストランの経営者、マスコミ関係者の名前が挙がっている。インターネットで噂が飛び交っているようだ。

ダチ法相は、60年代にフランスに渡ってきたモロッコ人の父親とアルジェリア人の母親から生まれた複数の子どもたちの2番目。自伝「あなたの判断にゆだねる」(Je vous fais juges, 2007年)によると、1992年に家族が決めた男性と言われるままに結婚したものの、4ヵ月後に結婚の無効を申請した経験を持つ。以後、独身だ。北アフリカの伝統的な家族観に縛られず、フランスの自由な現代女性の最先端を闊歩していく。

出産の予定は来年1月。これから公務も忙しくなりそうだ。一刻も早く安定期を迎えて、公私ともに望みを叶えて欲しい。

2009年1月6日 mainichi.jp「パリ便り」コラムから

2000年から年間80万を超える赤ちゃんが生まれているフランスでは、今年もベビーブームが続きそうだ。新年明けて早々、法務大臣のラシダ・ダチさん(43)が女児を出産した。予定日よりも2週間ほど早く、帝王切開での出産だった。大きなお腹をもろともせず、かかとの高く細いハイヒールをはいて颯爽と歩く姿をテレビニュースで見たのは数日前のこと。出産後も病院から法務省に指示を出して仕事を続けているそうだ。出産休暇はできるだけ短くし、法相のイスを空けるのは数日間にとどめる予定らしい。

ダチ法相は結婚をせずに出産したが、これはフランスの現代的な傾向を物語っている。2006年ごろから婚外子が50%を超えており、約半数の子どもは結婚していないカップルから生まれている。しかし、43歳という高齢出産は、フランスでもまだ珍しい。2007年の平均出産年齢は、29,8歳。40歳以上で出産したのは、全体の4.6%にとどまる。

高齢にもかかわらず臨月に入っても精力的に活動する姿を見て、感心したが心配にもなる。ところが、ダチ法相は「疲れていないか」と聞かれるのにうんざりしていたそうだ。日刊紙ル・フィガロによると、ダチ法相にとって妊婦のイメージは10人の弟妹を出産した母親にあった。妊娠中も出産後も元気に動き回っていた母親の姿を自分に重ね合わせて、黙々と仕事に打ち込んでいたようだ。

去年9月に妊娠を公表してから、子どもの父親は明らかにされていない。インターネット上のあるサイトは、早々に父親説を否定したスペインの前首相の名をあらためて挙げている。モロッコの有力な情報筋をネタ元にしている。また、出産後、サルコジ大統領の長男が産科クリニックに駆けつけたことから、新たな噂が飛び交っている。1231日に、サルコジ大統領の側近やカーラ夫人の友人たちなど10数名が大統領府に招かれたが、その重要人物のなかにダチ法相も入っていた。サルコジ大統領とは疎遠になりつつあるとも言われているが、大晦日をともに過ごしているところを見ると、なんらかの切れない関係がありそうだ。

サルコジ大統領の意向をうけて、法曹界を敵に回しながらも司法改革を実行してきたダチ法相だが、今月下旬に予定されている内閣改造で、ポストを追われるのではないかとささやく声もある。石油大手企業からのオファーがあり、政界から財界へ華麗なる転身をとげるのではないかとも言われている。

2010年3月 mainichi.jpコラム最終回から抜粋 
移民系出身で初めて重要ポストに抜擢されたと騒がれたラシダ・ダチ法務大臣は、シングルマザーとなってからもメディアの注目を集めている。最近、テレビやラジオに出演し、プライベートライフを語りはじめた。両親とその子どもたちを家族の形と考えるイスラム教の家庭でありながら、フランスが誇る「自由」を許容するダチ法相の家族。テレビ番組では、この実態が驚きを持って伝えられた。フランスに暮らしながらもイスラム教の慣習に縛られている女性たちは、ダチ法相の自由な生き方に影響を受けたことだろう。

ダチ法相の出産は、私自身にも大きな影響を与えた。40歳をすぎた働く女性が妊娠したというニュースは、同年代の働く女性たちを勇気づけた。

日本にいた頃、キャリアか出産かの選択に迫られている気がして、仕事と子育ての両立など想像もできなかったことが、なぜフランスでは実現できるのだろう。

多様で複雑な家族の形、自由なオトコとオンナの関係や女性の生き方を認める社会の懐の深さが理由であるように思う。

2011年2月23日
ラシダ・ダチさんは、2009年6月に法務大臣を辞め、7月から欧州議員として政治活動を続けています。


 

フランスの家族の形~義理の親

出生率と離婚率の高いフランスでは、子連れ同士の再婚や同棲も珍しくない。親の恋人や再婚相手と暮らす新しい家族の形を「複合家族」といい、フランスではおよそ200万人の子どもたちがこの環境の中で生活している。複合家族の増加にともない、継父や継母ら「義理の親」の権利を法律で定めようという動きが出てきた。

ル・モンド紙に意見を寄せたダティ法務大臣によると、「継父・継母は、第二の父親、母親としてフランスの家族のなかで大きな役割を果たしているにもかかわらず、フランスの法律には、その存在や権利を規定するものがない。」同居相手の子どもを学校に迎えに行くためには委任状を提出しなければならず、病院へ連れて行くためには同居相手の許可が必要である。ダティ法相は、こうした事前許可がなくても日常生活に必要な行動ができるように法制化に取り組もうとしている。

「義理の親」の規定については、サルコジ大統領も前向きだ。去年の夏、労働大臣に検討するよう指示し、「全ての家族を支え、助けたい」とメッセージを送った。サルコジ大統領自身、複合家族に暮らしてきた。前夫人のセシリアさんとは、彼女の娘2人とセシリアさんとの間に生まれた息子、常に同居していたわけではないが自分の息子が2人。カーラー夫人とは、彼女の息子とともに新しい家族をつくっている。複合家族が抱える問題は他人事ではないだろう。

一方、SOS PaPaというフランスのパパたちの組織は、法制化に異を唱えている。「学校への送迎のような日常の問題は、法律で定めるまでもなく各自が解決してきた。法制化により生みの親と育ての親が争う危険が出てくる」。SOS PaPaによると、別れたカップルの9割で、父親が子どもに会えるのは隔週末のみで、時とともに子どもに会う機会が減っている。日本と同じで、母親が子どもの親権を得ることが多いフランスで、子どもと暮らしたくても暮らせない、会いたくても会えない父親がいる。

娘は別れた妻と暮らし、自らは新しい妻の息子と暮らすアラン(52)は、「子どもの教育の義務を果たすのは実の親。長女とは隔週末しか会えないが、躾や教育は自分の役目」だと言い切る。一緒に暮らしている妻の息子に関しては、妻の元夫とも友好的な関係を保ちながら成長を見守っている。妻の元夫が「親」としての役割を果たせるよう尊重し、自らは「代理の親」だと表現する。あくまでも「親」は生物学上の親であり、「義理の親」の権利は学校の送り迎えなど限定的なものにとどめるべきだと考えている。

家族の形が多様化したフランス。「義理の親」の規定を巡る議論は続きそうだ。

(mainichi.jp 2008422日掲載)

2011/02/14

フランスのオトコとオンナの事情8(最終回)

アンヌの家に、スーツケースをかかえてやってくる日本人女性は一ヶ月ほどすると姿が見えなくなった。父は、モノを買い揃え歓待したが誰も一ヶ月もたない。彼女たちは、大邸宅で繰り広げられる複雑な<家族>に馴染めず、パリの小さなアパルトマンで父と暮らしたいと訴える。頑として譲らない父に愛想を尽かし、彼女たちは大邸宅を後にした。

意を決した父は、アンヌの母に共同生活の解消を申し入れた。娘たちの部屋を確保しつつ、日本人女性を迎えるためには、アンヌの母に出て行ってもらうしかない。声を荒げた話し合いが何日も続いた。家賃や引越し費用を負担したのは父だけれど、この大邸宅を探し、暮らせるように準備を整えたのはルテシアの母だ。

母は荷造りを始めたが、引越し先が見つからない。この間も日本人女性がやってきて、しびれを切らせて去っていった。父は肩を落としたが、数日後にはインターネットで代わりの女性を探し始めた。「日本人形が欲しい」、父が探しているのは、自己主張をしない人形のような女性だ。

そうこうしている間に、父の妹が二回目の離婚を決めた。父は家を追い出された妹の元夫を自分の家に迎え入れた。更に、恋人の男性と別れ行き場を失った男友達のために、居間に簡易ベッドをつくってあげた。大邸宅は無料ホテルと化して、様々な人が出入りした。

アンヌは、メークアップアーティストを目指して学校に通い始めた。妹は、母親のような看護婦になりたいと学業に励んでいる。2週間毎の週末、アンヌと妹はそれぞれの恋人を連れて父の家で過ごすようになった。父の恋人や友人たちに囲まれて、それぞれがBon week-end (よい週末)を楽しんでいる。

時折、アンヌは親子3人の写真を眺める。両親に連れられてエッフェル塔付近を散歩した時のもので、3人だけの最後の写真だ。しかし悲壮感はない。写真には写らないが、父子の絆、母子の絆は強い。それらの絆は、目に見えないアンヌの<家族>としてしっかりとつながっている。

8回に渡って書き綴ったアンヌの<家族>は、ひとまず終わり。事実は小説よりも奇なりとは、フランスのオトコとオンナにあてはまる。小説や映画に出てくるような人々に出会うたびに唖然。感情に正直すぎる生き方にまた唖然。自分の幸せを探し求めるパワーに圧倒させられる。

家族観・人生観は多種多様、模範解答なんて存在しない。オトコとオンナの事情に柔軟なフランス社会を今後も観察していきたい。

(mainichi.jp 2007年6月8日掲載)

フランスのオトコとオンナの事情7

アンヌと妹の部屋をはさんだ階段の踊り場。大きな机を置く父は、ここでコンピューターに没頭することが多くなった。座右には日本語の辞書があり、メールのやりとりに挨拶など簡単な日本語を交えている。アンヌに写真を撮ってくれとカメラを渡し、上目遣いに微笑んだ。

最初の妻だったアンヌの母と共同生活が始まると、父はアジア系の恋人を連れ込むようになった。最初はラオス人、続いてベトナム人。次第に、台湾人や中国人。パリにも中華街があり、中華料理を食べに行っては新しい恋人に出会った。

父のように、フランス人女性との結婚生活が破綻するとアジア系の女性を追い求めるフランス人男性がいる。「どこに行けばune femme asiatique(アジアの女性)に出会えるの?」パリの街角で何度も耳にした言葉だ。アジア系の女性はおとなしく従順だというイメージにとりつかれている。このような男性を「アジセン」(アジア系専門)と呼ぶ。

父は日本文化に興味があり、次第に大和撫子を探し求めるようになった。「アジセン」から「ジャポセン」(日本人女性専門)へ。パリ市内の日本書店や日本語を教える学校などにアノンス(小さな広告)を貼り歩いた。《日本に興味があります。フランス語と日本語の交換授業をしませんか?》。

フランス語で交換授業はéchange という。授業料をかけず、会話に磨きをかけたい日本人と日本語を学びたいフランス人にとって効率的な言語習得方法だ。多くの場合、échangeは名目で、お互いにパートナーを物色している。父もéchangeで数人の日本人女性に出会ったが、イメージに合わない。パリで出会う日本人はフランス人女性並みに自己主張が強いと父は嘆いた。

日出づる国 Soleil levantから人生の伴侶を迎えたい父は、とうとうインターネットで日本人女性を探しはじめた。メールでéchangeを申し入れ、写真を交換し、電話をかけあい、遥々日本まで会いに行く。

アンヌの父のパスポートは日本の出入国スタンプで埋まっていく。

(mainichi.jp 2007年6月1日掲載)

2011/02/09

フランスのカップルの形②~パックスその2

結婚でも同棲とも異なるフランス独自のカップルの形、パックス(PACS)がはじまって今年で10周年を迎えた。日曜日に発売される新聞、ル・ジョーナル・ド・ディマンシュは、一面に「パックス大成功」と見出しをかかげ、この契約を称えている。10年間でパックスを結んだカップルは50万組を超えた。

去年1年間に結婚したカップルは273500人。10年間ほぼ横ばい。一方、パックスを結んだカップルは20倍増えて、143000人。婚姻制度を崩壊させることなく、この新しい制度はフランス人を魅了し、定着した。

理由は、結婚に比べて契約の締結や解消が簡単で、結婚しているカップルと同じように一つの世帯として所得税の申告ができること。このほか、結婚までの第一ステップ、つまり婚約のように位置づける人も多い。子どもを授かるなど、あるきっかけで結婚に進んでいく。

パックスは、フランスだけでなく、フランスに住む外国人にも認められている。条件は、国籍を問わず共通で、兄弟姉妹など直系親族同士でないこと。重婚およびパックスをすでに結んでいる状態でないこと、など。

2007年にコラムでパックスをご紹介した後、私も日本人のパートナーとパックスを結んだ。
フランス人の動機と同じで、簡素な手続きや税制優遇措置に惹かれたこと。パスポートや証明書などの姓を変えることなく、カップルとして公に認められることも魅力だった。

区役所と同じ建物のなかにある小審裁判所で必要書類を聞く。外国人であり離婚経験のある私の場合、日本から取り寄せる書類が多く複雑だった。フランスに支払う手数料は全くないが、書類を法定翻訳家に依頼しなければならず、その額は決して安いものではない。

次に、大審裁判所の別館に出向いて「パックス未締結」の証明書を発行してもらう。所用時間5分。再び小審裁判所に行き、書類を提出。指定された日に、小審裁判所に出向くと、小さなオフィスに呼ばれて、A4の紙に2人の名前、生年月日、出生地が記載された「連帯市民契約締結宣言記録受領書」が一枚ずつ手渡された。「紛失しても再発行しないので注意して。はい、終わり」、評判通り簡素な手続きだった。

家族も友人も同伴せず、セレモニーもない。現代フランス人の仲間入りをした。日本にいる時よりも、2人で暮らすための選択肢がひとつ多かったのは喜ばしい。

(mainichi.jp 2009年1月26日掲載)

※書類の翻訳に懲りたにもかかわらず、その後
結婚することを決め、再び、書類の山に埋もれました。

フランスのカップルの形③~結婚

グラフィックデザイナーのシャルロット(30)と医療機関に勤めるパスカル(40)1年前に知り合い、3ヶ月ほど前に結婚することを決めた。来年8月にカトリック教会で結婚式を挙げる予定だ。

フランスでは1970年代には約40万組が結婚式を挙げていたが、年々減り続け去年は274400組。そのうち、教会で挙式するカップルは半数で、結婚と教会から遠ざかる傾向がある。

2人が結婚を選んだのは、両親が離婚をせずに今日に至っているから。約半数の夫婦が離婚するフランスで、彼らの友人たちは結婚に不安を感じ、離婚を恐れているという。2人は幸いにも結婚にマイナスイメージを感じていない。

パリ14区にある近所のカトリック教会を訪ねた2人は、結婚式までの準備を司祭と話し合った。挙式準備中のほかのカップルたちと交流して意見交換をしたり、結婚10年、20年を経た既婚カップルから経験談を聞いたりする。

こうした交流会は、カトリック教会の「結婚準備センター(Centre préparation au mariage)」が主催し、フランス全土では毎年10万組が参加するが、パリでは700組ほどにとどまる。
大都会のカップルは伝統的な準備過程を敬遠する。

責任者として20年来係わっているクロード・エリアル氏によると、「以前はグループ交流が主だったが、10年ほど前から年配夫婦と個別に面談するケースが増えている」と言う。これなら、膝を付き合わせて話をすることができる。

シャルロットとパスカルも、一組の年配夫婦を訪ねる予定だ。「貞操義務とは、夫婦の危機をどう乗り越えたか、子どもが生まれたら、生まれなかったら。生活の基盤について話を聞くことは重要」とシャルロット。

コミュニケーションを深めるには努力が必要。週末の予定や晩御飯のメニューを話し合っても深まらない。「お互いの考え方や違いを知る機会にしたい」とパスカル。2人はクリスマスに婚約し、年明けにも年配夫婦に会いにいく。

日本では憧れの教会ウェディングだが、フランスでは多くのカップルが「古い、わずらわしい」と表現する。教会での伝統的な結婚を望む2人のようなカップルは貴重な少数派だ。
(mainichi.jp 2007年11月13日掲載)

フランスのカップルの形②~パックス

トマ(30)とマリー(30)は5年前、シャンゼリゼ界隈のディスコで出会い、翌日にカフェでデート、翌々日にトマはマリーのアパルトマンに転がり込み、共同生活がはじまった。トマは清掃会社の事務職員、マリーは小学校の教諭。2人は結婚という制度に拘束されたくなかったため、2005年にパックス(Pacs)というカップルの契約、連帯市民契約を結んだ。

結婚でも同棲でもないフランス独自のカップルの形態で、1999年にこの契約ができた当初は Mariage pour homosexuels(ホモカップルの結婚契約)と呼ばれることもあった。結婚が認められていない同性愛者たちも結婚と同じような権利と義務を与える契約と注目されたが、最近はトマとマリーのような異性カップルの数が契約全体の93%を占めている。結婚に代わるカップルの形として定着しつつある。

2人にパックスを選んだ理由を聞くと、「節税対策」とあっさり答えた。2人が契約を結んだ2005年、パックス法が改正されて契約を結んだ年から所得税が共同で申告できるようになった。高い所得税にため息をもらしていた2人は、パックス契約後、結婚した夫婦のように1つの世帯として所得の申告ができるようになり、収める税金も減った。

この法改正の効果は数字に表れている。フランスの法務省が先日発表した統計によると、2000年におよそ2万人だったパックス契約者は2006年には3倍に増えている。2005年の法改正後、毎月5000人以上が契約し、特に6月や7月など結婚シーズンに契約者が増えた。平均年齢も結婚年齢に近い31.5歳。この統計は、結婚に代わりパックスを選ぶカップルが増えていることを裏付けている。(Infostat Justice octobre 2007, No97

経済的理由のほかに2人は、「現代的だから」と言う。税制優遇措置など社会的権利を得ると同時に果たさなければならない義務もある。しかし、結婚と違って契約の締結・解消は簡単で自由だ。2人は、近くの小審裁判所(日本では簡易裁判所にあたる)に戸籍抄本など必要書類を持参して契約書にサインした。結婚の場合は、役所(パリは区役所)に届出でて、市町村長の前で宣誓をする。パックスにはこのような儀式はない。

トマとマリーは、暮らしに余裕がでてきたので子どもを持とうと話しているが、パックスを結婚に変えるつもりはない。フランスでは結婚以外の形で生まれた子どもも、結婚したカップルから生まれた子どもと同じように扱われ、名字も両親の氏を名乗ることができる。
パックスに不都合を感じないという。

フランスのカップルは緩やかな関係を好んでおり、社会もその期待に応えている。

(mainichi.jp 2007年10月16日掲載)

フランスのカップルの形①~ユニオン・リーブル


夏木マリさんが婚姻届を出さない事実婚を「フランス婚」と呼んだように、結婚しないで共同生活を送っているフランス人カップルは数多い。フランス語では、コンキュビナージュ(Concubinage)またはユニオン・リーブル(Union libre)と言い、役所に申し出て「同棲証明書」を発行してもらうこともできる。

パリ郊外に住むマリ=クリスティーヌ(46)は薬品関係の研究所に勤める公務員、ダニエル(46)との同棲生活は23年になる。敬虔なカトリック教徒の家庭で育ったダニエルは結婚を望んだが、彼女は躊躇。結婚したら夫の姓を名のるよう期待されたからだ。フランスは法的に夫婦別姓が認められているので、結婚しても姓を変えなくてもいいはずだ。

一緒に住んで2年目に妊娠、彼女は結婚に踏み切れない。コンキュビナージュを続けたいという希望をダニエルは受け入れた。結婚しなくても子どもに不利益が生じないと判断したからだ。2人は婚姻届を出す代わりに、役所に同棲証明書を出してもらった。

マリ=クリスティーヌによると、証明書の申請は極めて簡単だったという。戸籍抄本と手書きの申請書を準備した。安定した共同生活が継続しているという証明は、連名にしてあるガス会社からの請求書で充分だった。役所によっては証人を同伴しなければならないが、彼女たちは必要なかった。

コンキュビナージュは戦後増え始め、判例や立法で認められてきた関係だ。すでに1972年の判例は、結婚したカップルから生まれた子どもと婚外子の平等を認めている。家族手当も同じように受けられる。1999年にパックス(市民連帯契約)ができた時、初めて民法に規定された。

ただし、結婚やパックスのように所得税の共同申告はできない。申告書の分類も「独身」になる。安定した収入を得ているマリ=クリスティーヌは、税金優遇措置を理由に結婚やパックスに変えるつもりはない。2人の娘は、彼女とダニエルが一人ずつ扶養する方法で申告することができる。書類上は2つの別々な世帯になるけれど、4人は家族である。

2人は共同名義で一軒家を手に入れた。いま、マリ=クリスティーヌは遺言を残そうと考えている。コンキュビナージュは、相続や贈与に関して結婚と同じようには見なされない。娘たちに遺産相続のトラブルが生じないように策を講じておく。

「冷たい視線を感じたことはない」、2人はコンキュビナージュという形に満足している。
(mainichi.jp 2007年10月30日掲載)